2003年6月21日(土) 大阪〜稚内:晴れ時々曇り 朝7時すぎに自宅を出発し朝定食(350円)を食べた後、関西空港行空港バスを乗るため梅田・新阪急ホテルに向かった。予定の8時発の一本前のバス(7時40分発)が出発するのを待って8時発のバスで関西空港へ向かった。およそ50分ほどで関西空港に到着しバースデー早割で予約していた航空券を窓口で受け取った。本来なら片道4万円以上するチケットをバースデホ早割は1万円で購入できる。さらにプレ割で2%引で通常なら自動機でチェックインできるが、誕生日の証明をするために免許証を提示しにカウンターへ行った。カウンターでは往復チケットを発券されて10時5分発だが、9時15分に63番搭乗口で時間を潰していた。この時点では待っている人は自分を含めて3人だけだった。30分過ぎにはフライト機A320乗客一杯の人が並んでいた。座席は前から4列目右窓側の5Fだったので後方の乗客から乗るようにアナウンスがあり搭乗口に並んでいた。しばらくすると全員の搭乗が可能になり定刻より1分遅れの10時6分に出発した。稚内へのフライトは初めて(逆はある)だったが、関西空港から北海道へは名古屋・新潟・秋田を経て函館・千歳上空を経て稚内に向かった。機長からのアナウンスによれば定刻の12時15分より10分ほど遅れて到着すると言われ、逆向きの風で飛行時間がかかることである。12時25分に無事に稚内空港に到着した。ここの空港は昨年大阪に帰るときに利用したが、到着は有視界飛行になるため海(宗谷海峡)に近い空港で霧・ガスで着陸できないこともあることを知っていたため少し不安だった。予定より10分遅れで到着したため稚内駅行のバスも12時35分過ぎに出発し駅に向かった。僕は午後から時間があるため多少の遅れは関係なかった。予定より15分ほど遅れて13時10分過ぎに駅前バスターミナルに到着した。昼の時間だったので昨年もそうだったが、稚内駅内の立喰そば屋でてんぶらそば(350円)を食べた。相変わらず北に来れば汁は黒く、濃い。しかしまずくはないため食事後に今日・明日の宿泊となる稚内モシリパユースホステルにチェックインした。ペアレントの方が前もって予約した際に早くのチェックインもOKと言って頂き部屋へ入った。荷物を置いて昼からの予定は無いために稚内温泉に行くことにした。バスの往復乗車券と入浴料のセット券がバスターミナルで売っているためそれを買いにYHを出た。YH でも入浴券はあるようだが、バスとのセット券の方が安いとペアレントに教えてもらった。バスは稚内駅前片道270円x2(往復)と入浴料600円で個別だと1,140円かかるが960円で済む。180円の得である。14時過ぎにバスターミナルにいたが、稚内公園方面の山を見るとロープウェイが動いているのが見えた。過去5回ほど稚内に来ているが、このロープウェイに乗ったことが無かった。昨年やその前も運転がされていないときばかりで今回乗りに行った。稚内市役所が運営しているこのロープウェイは冬のスキー場用にあるようなものでもある。約2分の小さなロープウェイは往復240円で乗客がいる時に動く乗り物である。14時19分に乗車して頂上駅に1分ほどで到着しここからの稚内港の見晴らしはすばらしかった。さらにこの上には稚内市開基百年記念塔(400円)があり、せっかくだから昇った。稚内公園のさらに高いところから稚内港を見下ろす景色はすばらしく、後方には自衛隊の基地ものぞけた。天候は急にガスになり展望台周辺は5分もしないうちに真っ白で景色は見えなくなった。本来なら気象条件がよければ遠くロシアのサハリンまで見えるとも言われ、後方には、利尻・礼文が望めるようだったが、一面のガスで見えなかった。稚内温泉に行くバスの時間が15時17分なので急いで元に来た道を帰りロープウェイに乗りバスターミナルに戻った。5分ほど前でぎりぎりだったが、無事乗車でき15時31分に稚内温泉・童夢入った。昨年も来ている為館内は解かっており入口で入浴券を渡し脱衣場に向かった。丁度観光バスの人たちが入口でごたついているのを横目に浴場に入った。いろいろな種類の湯舟に入り露天風呂にも行った。ここから利尻富士が天気が良ければ見れるが曇っていて見れなかった。時間は1時間ほどサウナ・露天風呂・打たせ湯などで過ごし帰りのバスの時間が17時55分だったため1時間弱静かな部屋で小休止しバスの時間を計り少し早めの夕食を摂った。温泉内でのシャケ・イクラ丼セット(そば付)を食べ17時45分にはバス停で待っていた。外は風が強くバスの待合所でバスの来るのを待っていた。僕一人が稚内駅方面のバスに乗り、ノシャップを経由し稚内駅前BTに到着した。時間は18時11分でYHに戻るには早いため稚内の防波堤を見に行った。稚内公園に沈む夕日が見られすばらしく、防波堤先端にある機関車の車輪を見に行った。これは昔の現サハリンとの連絡船を記念して置かれている。外は薄暗くなり19時過ぎにYHに戻り部屋に戻った。戻ると礼文島から来た大学教授がおられいろいろと話を聞き、関西・奈良の大学で講義をしているとも言われた。その他の人はあまり喋らなかったが、明日の朝が早いため22時まで1階の談話室で野球を観ていたり、旅行者と談話していたが23時には就寝した。 |