2004年9月11日(土) 函館〜松前〜江差〜島牧:晴れ

ホテルを8時半頃出発し、今日は松前城から江差方面へ北上する道を選んだ。函館市内の国道5号では後ろにパトカーがいた為制限速度を守り走っていたため遅い感じで知内方面へ向かった。10時前に道の駅「しりうち」に到着しトイレ休憩をした。ここ知内は青函トンネル口の北海道側の地であり、北島三郎のふるさとでもあった。しかし国道を走ってもあまり気づかない場所で閑散な田舎町とも思えた。知内の道の駅から20分走り福島町の道の駅に辿りついた。ここは横綱千代の富士記念館が道の駅の横にあり道の駅は小さな駐車場と売店だけで観光バスが1台止まっていたが、ここも閑散とした地であった。先を急ぎ白神岬に向かった。覆面トンネルを入る手前左に待避所がありそこに白神岬があった。目の前は竜飛岬で最短で19.2kmしか離れていなく肉眼でも見れた。また岩木山も薄っすら見えた。岬をあとにしてトンネルを越えるとパーキングがありここでも対岸の竜飛が見られた。約30分ほど海岸線を走り松前の町に入り北海道唯一の松前城を見た。入館料を払い展示物を見て天守閣の頂上から津軽半島を見た。天気もよく対岸が良く見えたが、3日前の台風18号の影響で松前城周辺の桜の木の葉が塩害で茶ぽく変化して無残な状態だった。城内は松前藩の説明があったが、閑散とした状態だった。城をあとにして松前藩屋敷に向かった。場所は城の上にあり、車で5分足らずのところにあった。屋敷に入るには350円必要だが、ホテルにあった広告誌によって10%引きの315円で入った。何処にでもある屋敷を敷地内に造ってあり、奉行所・問屋などの建物があり当日は煎餅焼きの実践が行われ1枚10円の焼き立て煎餅10枚100円を買って屋敷を後にした。時間は12時をすぎ屋敷で郷土料理を食べようとしたが、店には人一人の客が居なかったため、江差方面に進んだ。道の駅「上の国もんじゅ」であわび・うに丼(2000円)を食べ13時過ぎの遅い昼食だった。上の国には昔からの墓が有名で山の上に江差港が一望できる「夜明けの塔」があり、山に向かった。辺りは古墳があるらしく寂れて人などは居ない場所でもあった。しかし周辺にはキャンプ場があるらしい。車で塔まで行けたが、大したことが無く山を降り江差へ向かった。江差市内に入り少し渋滞していて鴎島に向かった。島近くには徳川幕府の軍艦「開陽丸」が停泊していたが、3日前の台風18号で陸と船の渡る橋が流され船内の見学は出来ない状態だった。鴎島を一周して15時を過ぎたため、瀬棚・島牧までに時間が掛りそうなので先を急ぐことにした。カーナビをセットして今日のユースホステルの到着時間が20時となっていたため疑問に思い、江差の道の駅・元和台の道の駅を寄り、瀬棚まで江差から2時間強掛った。17時がすぎナビの宿の到着が18時を過ぎていた。夕食を予約していたため18時までに入る必要があったが、事故せず海沿いの国道を快走した。辺りには漁港が点在してスピードが出しづらい場所が続いた。島牧に近づくにつれて長いトンネルが続き、すごく長いトンネルを越えると島牧YH近くに到着した。国道脇に看板があり、道の駅の手前の公園地帯の一角にYHがあった。時間は18時3分前。急いで建物に入ると客は一人しか居なかった。敷地内の駐車場に秋田ナンバーの車が止まっていた青年が今日の同室の人だった。彼は会社を辞め、次の仕事の1ヶ月の間の北海道旅行だった。あと数日で北海道を後にする途中でもあった。18時30分過ぎに夕食が出来食堂で2人だけだった。外は海が見え、遠くには奥尻島も見えるが閑散としていた。食事は地のものが中心でホタテも食べれた。夕食後風呂に入り談話室でペアレントと話をして11時頃まで続いて寝た。

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